-経緯− かい人21面相事件の発端となったのは、江崎グリコ社長・江崎勝久氏(当時42歳)が昭和59年3月18日、午後9時35分頃、自宅から誘拐されたことから始まる。江崎氏が子供2人と入浴中、突然2人組の男が浴室に侵入し江崎氏を連れ去った。自宅前には男が赤い車で待機しており、2人に誘拐された江崎氏は車に押し込められ急発進して逃走した。 その後犯人は、身代金10億円と金塊100キロを要求したが、江崎社長は3日後の21日午後2時30分頃、大阪・茨木駅近くの作業小屋から抜け出し、警察に保護された。だが、今ままでの身代金誘拐事件とは異なり、人質が解放された後の犯人からの脅迫が社会を恐怖に陥れたのだった。 その後、5月に入ると「かい人21面相」名で、脅迫状を新聞社に送ってきた。それによると「名古屋−岡山間に青酸ソーダ0.05グラムを入れたグリコ製品を置く」と予告。その予告どおり、コンビニに毒入りの菓子が発見され、防犯カメラに「野球帽をかぶった不審な男」が映っていた。捜査本部は、この男が重要参考人であるとして公開、幅広く情報収集に乗り出したが遂に有力な手がかりは得られなかった。 6月2日午後8時15分頃、江崎氏が監禁されていた作業小屋に近い堤防で、若い男女(Aさん、B子さん)が車内で音楽を聞きながらデートをしていた。そこへ、男が銃身のような物を運転席に押し込んできた。Aさんは元自衛隊員であり腕力に自信があったが、一発で殴られて戦意を喪失。この不審者は3人組で2人はAさんの車に分乗し、1人は男達が乗ってきた車にB子さんを乗せて、それぞれ別方向に走り去った。 一方、江崎グリコでは再三に渡る犯人からの脅迫を受けており、当日は現金3億円を要求されていた。捜査本部の関係者が見立たぬように周囲を包囲しながら、犯人が指定したファミリーレストランの駐車場で待機していた。そこへ、Aさんの車がレストランの駐車場に入って来た。2人組はAさんに、「ファミレスで駐車している白のカローラバンの運転手から車を受け取り、先ほどの堤防まで走って来い」と指示し途中で車を降りた。言うことを聞かないとB子さんの命は無いと脅され、しかたなくAさんは指示に従った。 指示通りにカローラバンを運転し堤防に向かったところ、捜査本部の仕掛けで車はエンストし車中に潜んでいた捜査員にAさんは取り押さえられた。犯人逮捕と歓喜したが、その後犯人から脅されて現金3億円入りの車を運転しただけとわかり、現行犯逮捕は失敗に終わった。B子さんは、犯人から電車賃2千円を貰って解放された。 この間、江崎グリコ製品は大手スーパ、コンビニ店から撤去され50億円以上の損害を出していた。株も落ち込み、業績は最悪で各工場の操業停止を余儀なくされた。ところが、6月26日に各新聞社に犯人から「江崎グリコゆるしたる」との収束宣言が送られてきた。このタイミングから江崎グリコの株が上昇し、大手スーパなどがグリコ製品の販売を再開し、江崎グリコの業績が上がった。この間、犯人側と江崎グリコ側と「何があったのか?」謎のままである。だが、これは第一幕が降りただけだった。 −後手の捜査陣− 第二幕は、ハム製造・販売の大手会社・丸大ハムだった。6月22日に犯人から丸大ハムに「グリコと同じようになりたくなかったら5000万円を用意しろ」と脅迫文が届いた。 捜査本部は犯人の要求通り、金をボストンバックに入れ、指定された場所へ出向く。高槻駅から京都駅に向かう東海道線の鉄橋近くで旗を見つけ次第、車窓からボストンバックを投げ込むよう指示されていたが、電車の速度が速く投げられなかった。この前後、この捜査員にぴったり付いてくる不審な「キツネ目の男」が複数の尾行している捜査員に目撃されている。この不審な男は、金を持った捜査員が京都駅で下車し、再び高槻駅行きに戻る時も、後ろから尾行するような素振りで電車に乗り込んでいる。 第三幕は森永製菓だった。グリコ製品同様に青酸入りの菓子をスーパ、コンビニ店に置き、森永に1億円を要求した。が、指定された場所に現金を置いたが犯人は現れなかった。 第四幕はハウス食品だった。11月14日、ハウス食品に送られてきた脅迫状の指示通り、車に1億円を積んで名神高速道路の大津パーキングエリア内で金の受け渡しのため待機した。この時も、このパーキングで不審な「キツネ目の男」が捜査員の数メートルのところまで接近していたが、その後見失っている。 ハウスの社員に変装した捜査員は、犯人側が指定した場所にあった指示書を読んだ。「名古屋方面に向かい、白い旗が見えたら缶に入れた指示書を見よ」と書いてあった。捜査官はゆっくりと車を名古屋方面に走らせた。 一方、ほぼ同時刻に白い旗が取り付けられた高速道路の地点から50メートル手前で交差する県道で、不審な車をパトカー(捜査班では無く、通常の警邏であった)が発見した。不審車を取り調べようとパトカーを降りた途端、不審車が急発進し逃走。パトカーは追跡したが、見失ってしまった。その後、乗り捨ててあった不審車を発見。車内には警察傍受無線機が残されていた。大阪府警の捜査本部指示が滋賀県警に徹底されていなかったことが犯人を取逃がしてしまった。 この一連の失態は、犯行が関西地区を中心に大阪府、京都府、兵庫県、滋賀県などにまたがり捜査の連携に支障があったことと、捜査本部の指示により末端の不審者は即時逮捕せず、尾行・一網打尽にする方針であったため、捜査員も迅速な検挙が出来なかったようだ。この責任をとって滋賀県警察本部長が自殺するなど「犯人の思うような展開」に、社会は警察に対する非難の声を上げた。 −結果− その後、犯人側から「もう、あきたから、ゆるしたろ」との収束宣言があり、その後完全に犯人の動きが無くなった。目的は(動機)はいまだはっきりせず、信用を失った食品会社が工場閉鎖に追い込まれるなど、企業の損害は甚大であった。裏で犯人側との取引があったのではないか、あるいは株操作で儲けたのではないかなどの噂があるが、いまだに推定の域をでない。平成13年、遂に時効となり、犯人・動機は永遠に謎のままとなった。戦後のミステリー事件として「帝銀事件」、「3億円事件」に匹敵する大事件だった。
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